家庭犬のしつけにおいて、飼い主の態度や感情表現が結果に影響するという話は、経験的にはよく聞かれます。しかし、「感情に振り回されてはだめ」「しつけは冷静に」などといったアドバイスもあり、感情をどう扱うべきかについては意見が分かれます。
この記事では、「飼い主が見せるポジティブな声色や笑顔」が犬のしつけにどれほど重要なのか、科学的な視点から掘り下げていきます。
飼い主の声のトーンが犬の学習に及ぼす影響

声の高さや抑揚は、犬にとって意味のあるシグナル
ハンガリーのエトヴェシュ・ロラーンド大学が行ったfMRI研究では、飼い主の褒め言葉(「いい子」など)と、そのイントネーション(明るく高めの声)が一致したとき、犬の脳の報酬系がもっとも活性化することがわかりました。つまり、犬は“言葉の意味”だけでなく“言い方”を総合的に理解しているのです。
赤ちゃん言葉と同じ?ペット指向の話し方が効く理由
「高くて抑揚のある声」は、特に子犬に対して効果的であることが示されています。実験では、飼い主が高い声で犬に話しかけると、犬は尻尾を振ったり注目したりと積極的に反応を示しました。
トレーニングにおける「良い声」vs「怒った声」
2023年の研究では、トレーナーが明るく熱意のある声を使った場合、犬の集中力や正答率が向上する一方、怒った声を使うと犬は後退したり注意散漫になったりする傾向が確認されました。
表情やジェスチャー──犬は飼い主の“笑顔”をどう見ている?

日本人に多い“無表情”は犬にとって戸惑いの原因に?
日本人は文化的に感情表現を控えめにする傾向があり、笑顔や驚きなどの表情を強く出さないことが一般的です。しかし、犬は人間の顔の表情から感情を読み取ろうとします。そのため、表情が乏しいと犬は「今どう思っているのか」がわからず、指示の意味や状況判断に迷いが生じてしまうことがあります。
犬にとって飼い主の“感情の見える化”は、安心できる関係の基礎になります。豊かな表情でポジティブな感情を伝えることは、犬の学習を助けるだけでなく、信頼関係を築くうえでも重要なのです。
実際に、ドッグカフェやしつけ教室などで観察していると、明るい笑顔で話しかけたり、身振り手振りが大きくて表現豊かな人のもとには自然と犬が集まってくる場面が多く見られます。これは犬が“感情を読みやすく安心できる相手”に引き寄せられるためと考えられ、感情表現の豊かさが犬との良好な関係を築くうえで不可欠であることを裏付けています。
呼び戻しトレーニングでも、ジェスチャーを大きく、明るく高い声のトーンで愛犬を呼べる飼い主の方が上達が早かったりします。

喜怒哀楽は“行動の指針”になる
社会的参照(ソーシャル・リファレンシング)という概念に基づき、犬は不安な状況に直面したとき、飼い主の表情や声から「安全かどうか」を判断します。飼い主が笑顔でポジティブな態度を取ると、犬は安心して探索を始めます。
感情の“統合的理解能力”──写真+声で証明
ある研究では、人間の笑顔や怒り顔の写真と声を組み合わせて犬に提示したところ、感情の一致している組み合わせに長く注目することがわかりました。これは犬が感情を“総合的に認識”している証拠とされています。
ポジティブな表現は犬のホルモンにも影響する

オキシトシンと安心の絆
飼い主と犬が見つめ合ったり撫で合ったりすることで、双方の体内でオキシトシンが増加することが確認されています。これは「愛情ホルモン」とも呼ばれ、ストレスの軽減や信頼関係の強化に寄与します。

飼い主のストレスは犬に伝染する
スウェーデンの研究では、飼い主と犬の毛髪中コルチゾール値(長期ストレスの指標)が高い相関を持つことが判明。特に飼い主の神経質傾向が強いほど、犬のストレス値も高くなる傾向が見られました。
罰の多いしつけは、ストレスと悲観を招く
罰的手法を用いた訓練では、犬にストレス行動(あくび、舌なめずりなど)が増え、学習にも悪影響が出ることが実証されています。さらには、楽観的な課題解決思考にも悪影響が及ぶことが明らかになっています。
ポジティブな笑顔と声は“ご褒美”になる──学習理論との整合性

褒め言葉や笑顔は二次強化子になる
学習理論では、食べ物以外にも、撫でられることや明るい声が“ご褒美”として作用します。犬は人の表情や声を強化子として学習に利用できるのです。
できる限りしつけにおやつは使用しないことを私は推奨します。

犬は人の感情を“読める”よう進化した
長い家畜化の歴史の中で、犬は人間と生活することで、人の指差しや表情、声を読む能力を進化させてきました。これはオオカミとの比較実験でも証明されています。
まとめ:笑顔と声が犬の心に届く
感情的になることはしつけの妨げになる、という意見もありますが、正確には「感情をコントロールして適切に表現する」ことが鍵です。
- ポジティブなテンションや笑顔は、犬の学習意欲を高める
- 落ち着いた声と態度は、犬に安心感を与える
- 怒りや不安は犬のストレスになり、しつけの効果を下げる
つまり、しつけに感情は“不要”ではなく、“戦略的に使うべき武器”なのです。そしてその最たるものが、「飼い主の笑顔」と「明るい声」なのです。
しつけは「愛犬の命を守る」ために行うものだと考えています。そのためには、怒っているという表情と声も、時には戦略的に使う必要があると私は思っています。

感情表現を上手く使用したトレーニング方法を指導いたします。
参考文献・研究者
- Andics et al. (2016). Neural mechanisms for lexical processing in dogs. Science
- Albuquerque et al. (2016). Dogs recognize dog and human emotions. Biology Letters
- D’Aniello et al. (2018). The effect of oxytocin on dog facial expression perception. Frontiers in Psychology
- Vieira de Castro et al. (2020). Are aversive-based training methods associated with indicators of poor welfare in companion dogs? PLOS ONE
- Sundman et al. (2019). Long-term stress levels are synchronized in dogs and their owners. Scientific Reports
- Trösch et al. (2023). The tone of trainer voice affects dog training performance and behaviour. Applied Animal Behaviour Science
- Patricia McConnell著『The Other End of the Leash』