健康長寿医療センター研究所運動科学研究室長、青柳幸利先生が提唱する「1日8000歩、そのうち早歩き20分」を参考に始めたこの企画。


「愛犬とのお散歩をとことん楽しみたい」
見知らぬ駅に降り立って、愛犬と一緒に新しい発見や経験をしてみませんか?
そして、ちょっぴり「健康につながった気?」になれば一石二鳥。
あくまで、私が独自に始めたゆるい企画です。(青柳先生は関係していません。詳しく学び実践したい方は先生の著書をお読みください。)


今回は、JR東海道線・小田急江ノ島線・江ノ電江ノ島電鉄線『藤沢駅』からスタートです。
ふじさわ宿交流館や、白旗神社、遊行寺を巡るコースです。
運動しやすい服装、靴でお越しください。
それでは、駅から散歩スタートです。
※ご紹介しているお店の定休日・営業時間などは事前にご確認ください。
JR東海道線・小田急江ノ島線・江ノ電江ノ島電鉄線『藤沢駅』

藤沢駅北口を出ます。

改札を出た右側にはベーグル屋さん。

左側にコンビニ、プリン屋さんがあります。

北口を出ると2階に出ます。

出発時の歩数は「1,406歩」なので、目標は「9,406歩」となります。
今回、速歩は計測していません。
また、犬はお休みとなります。
それでは出発します。
ふじさわ宿交流館へ

ビックカメラ横を歩きます。

道中左手に「CAFFE VELOCE」があります。

右手に「庚申堂」が見えてきました。

「庚申堂」です。
江戸時代、道教の影響を受けて人間の肉体には「三尸蟲」(さんしのむし)というものが巣くっていて、寝ている間に天に昇り、その人の罪を天帝に密告し、それによって人の寿命が決められるとされていました。その為、六十日に一度めぐってくる庚申の夜には、誰もが眠らず徹夜して、「三尸蟲」が抜け出さないように見張る庚申待の信仰が生まれました。
藤沢市ふじさわ宿交流館より引用

さらに進むと「江の島弁財天道標」があります。
遊行通り先のロータリーの中には市指定文化財の江の島弁財天道標がたっています。この道標は、管を用いて鍼をさす管鍼術の考案者で、江の島弁財天を厚く信仰していたといわれる杉山検校が、江島神社に参詣する人々が道に迷うことのないようにと寄進したものと伝えられ、この他に市内にほぼ同形の道標が12基指定されています。
藤沢市ふじさわ宿交流館より引用

白山神社にも寄ります。

国道467号線に出ます。

「金砂山観音堂」に向かいます。

藤沢橋交差点の近く、国道467号線沿いの高台に砂山観音堂があります。寛永年間(1624-43)に建立されたといわれ、江戸時代にはこの付近一帯が見渡す限りの砂原だったことを考えると、小高い丘の上にあるこの観音堂は東海道を行き交う旅人たちの目を引いたに違いありません。
藤沢市ふじさわ宿交流館より引用

藤沢宿高札場跡跡を通過。
藤沢橋交差点の近くに赤い遊行寺橋が見えます。江戸時代には東海道は、この橋を通っており、当時はここが江の島道との分岐点でもありました。江戸方面から東海道を上り橋を渡ると、少し南に江の島道入口としての一の鳥居があり、その袴石は、現在、遊行寺宝物館の入口に保存されています。そして、本道は西に続きます。橋の袂には、江戸幕府からの法令、通達の類を知らしめる高札場(コウサツバ)が立っていました。
藤沢市ふじさわ宿交流館より引用

橋を渡るとふじさわ宿交流館に到着します。

ふじさわ宿交流館に着きました。
館内にはトイレがあります。
藤沢宿は東海道の江戸日本橋から数えて6番目の宿場です。
すでに戦国時代から、小田原北条氏が弘治元年(1555年)に藤沢大鋸町に伝馬(てんま)を置くなど、交通上の要地ではありましたが、慶長6年(1601年)に駅制が定められるにあたって藤沢宿として整備され成立しました。また、それ以前の慶長元年(1596年)に徳川将軍家の宿泊施設である藤沢御殿が築かれていました(17世紀半ばに廃止)。藤沢市ふじさわ宿交流館より引用
次の目的地は、源義経をおまつりする相州藤沢白旗神社となります。
白旗神社へ

まずは入町厄神社へ向かいます。

入町厄神社です。
明治15,16年この地でも疫病(天然痘)大流行したことから、神社所在地の入町、仲久保町、旅籠町の有志により疫病除けを祈願して祀られました。その後、入町厄神社世話人会を結成し御社管理をされています。
藤沢市ふじさわ宿交流館より引用

ちょっとした自然歩道を歩きます。

天満宮を右手に見ながら舗装道路へと出ます。

蒔田本陣跡を経由。

常光寺に到着です。

元亀3年(1572)に創立された浄土宗の寺です。境内全体を樹木に囲まれ、その樹木すべてが市の天然記念物に指定されています。その中でも樹齢300年~400年のカヤの大木は「かながわの名木100選」にも挙げられています。本尊の阿弥陀如来は市の重要文化財で、もと鎌倉扇ヶ谷の阿弥陀如来堂にあったものを移したといわれています。境内にある2基の庚申塔は、中世に建てられた貴重なものです。市の重要有形民俗文化財に指定されています。
藤沢市観光公式ホームページより引用

見ザル・聞かザル・言わザル

常光寺の手前にあるパン屋さん「関次商店 パンの蔵 風土」があります。

オーガニック小麦と、自然酵母が特徴のようです。

続いて永勝寺へ。

法谷山祥瑞院、浄土真宗の寺です。本尊は室町後期作の阿弥陀如来立像で、もとは親鸞聖人の東国遊行時に北条氏が鎌倉常盤に建てた一向堂というお堂です。
藤沢市観光公式ホームページより引用

江戸時代、近在から旅籠に売られて来た飯盛女を手厚く葬った旅館「小松屋」の主人源蔵の墓と、飯盛女の墓が有名です。
藤沢市観光公式ホームページより引用
続いて「伝 義経首洗井戸」に向かいます。


伝 義経首洗井戸に到着です。
義経は兄頼朝に鎌倉を追われ奥州平泉に逃げていましたが、文治5年(1189)藤原泰衡は亡父秀衡がかくまっていた義経を攻め、ついに衣川で義経を自刃させました。平泉から鎌倉に送られてきた義経の首は、首実検の後に片瀬の浜に捨てられたといわれています。潮にのって境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着した義経の首を里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたということです。
藤沢市ふじさわ宿交流館より引用

白旗神社へ向かいます。

先方に鳥居が見えてきました。

その手前右の建物にはフレッシュネスバーガーがあります。

白旗神社到着です。
相州藤沢白旗神社

鳥居をくぐりすぎ右横には源義経と弁慶の像があります。
白旗神社がいつごろできたのかは定かではありませんが、鎌倉時代より以前から、相模国(神奈川県あたり)にある寒川神社の神様・寒川比古命をお祀りして、同じ名前の寒川神社と呼ばれていました。
文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害されました。その首は奥州から新田冠者高平(にったかじゃたかひら)という者によって鎌倉に送られました。高平が、腰越の宿(鎌倉市)に到着すると、そこで和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認されました。伝承では、弁慶の首も同時に送られ、夜の間に二つの首は、白旗川を上り、この地に辿り着いたといわれています。
このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示しました。こうして義経公を神様として祀ることとなり、のちに白旗神社と呼ばれるようになりました。弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られることになりました。白旗神社HPより

本殿。

弁慶の力石。
白旗神社本殿東側に【弁慶の力石】があります。この石に触れると【健康になる・病気をしない】といわれております。毎朝・毎昼・毎夕・毎週・毎月など定期的にお参りをされていらっしゃる方は必ず触って帰られますが、意外と知られていない信仰です。
白旗神社HPより

お守り、神札。

ここで歩数確認をします。
6330歩
目標は「9,406歩」なので、半分を超えています。

白旗神社を後にして、次の目的地「清浄光寺(遊行寺)」へと向かいます。
時宗総本山 清浄光寺(遊行寺)へ

白旗神社の前には「トレアージュ白旗」というショッピングパークがあります。

妙善寺。
当山(長籐山)は文永8(1271)年9月13日までは真言密教の真蔵院(長籐法印住職)でありました。日蓮聖人は世を救うため、法を弘めるため、最第一の法華経によって幕府、官僚にお教えを説き、立正安国論など書物の献上もされたが聞き入れず、 ついに片瀬竜の口にて死罪、しかし立派な僧侶ゆえ、 翌朝佐渡島へ遠島の刑となり役人に引き立てられ越後(新潟)へ向かいました。その途中に休息されました寺が真蔵院(現妙善寺)であり、その折り、日蓮聖人より法印にお教えを受けられ 日聞と改名され、 この寺を法華道場となる事を約束されたのです。従って1271年9月13日を当山の開山」(日聞)とされ、由緒ある寺歴は現在に至っても勝れた内容と将来に大きな光明を世に輝く寺となるでしょう。
妙善寺HPより

ペット用無添加おやつ専門店「おひさま」があります。
おひさまジャーキーが名物のようです。

御殿橋を渡るとまもなくです。

時宗総本山 清浄光寺(遊行寺)到着です。
時宗総本山 清浄光寺(遊行寺)

時宗開祖の一遍上人より数えて4代目の呑海上人開山の時宗総本山です。藤沢山無量光院清浄光寺が正式な寺名ですが、呑海上人が正中2年(1325)に廃寺を再建して遊行引退後の住まいとし、歴代の上人も遊行引退後に住むようになったので「遊行寺」と呼ばれるようになりました。
藤沢市観光公式ホームページより引用

緩やかな坂道(いろは坂)を上ります。

手前が樹齢700年と言われる大銀杏。奥に本堂が見えます。

境内マップ。

遊行茶屋。(トイレもあります。)

明治天皇御膳水井。
明治天皇は度々遊行寺を訪れ宿泊されたようです。

御番方。(受付)

放生池とハナモクレン。
禄7年(1694)五代将軍徳川綱吉の時代、「生類憐れみの令」発布にともない、次のような”おふれ”が出されました。 「江戸市中の金魚(赤色)銀魚(白色)を所持いたすものは、その数など正直に報告し差し出すべし」 こうして江戸市中の金魚・銀魚が集められ、この遊行寺の池に放生されました。 現在も、毎年、春季開山忌に放生会などでこの放生池で行われています。
ちなみに、東国花の寺 100ヶ寺に選ばれているのは、この放生池そばの「ハクモクレン」です。
遊行寺HPより引用

宇賀神社。
宇賀神社に祀られる宇賀弁財天は、徳川氏の祖とされる有親の守り本尊と伝わります。有親は遊行十二代尊観上人の弟子となり名を徳阿弥と、長男の親氏は長阿弥と名を改めました。そして、次男泰親が独阿弥となり、三河国大浜称名寺に移るとき、遊行寺に宇賀神社を奉納しました。
遊行寺HPより引用。

宇賀弁財天。

宇賀弁財天は開運弁財天ともいわれ、俗に銭洗弁天として江戸時代から藤沢宿の人々に信仰されました。現在でも銭を洗うことによって、財福を招くと信仰されています。
遊行寺HPより引用

本堂。
木造銅葺、木造としては東海道随一といわれています。関東大震災で倒壊したのち、昭和10年上棟、同12年に落成しました。外陣長押に後光厳天皇の勅額「清浄光寺」を掲げています。
阿弥陀如来坐像を本尊として安置しています
遊行寺HPより引用

ペット用の絵馬もあります。(ペットのお墓もあります。)

一遍上人像。
遊行寺を出て藤沢駅へと向かいます。
藤沢駅へ

諏訪神社。
訪問した時には遅かったようで、中に入ることができませんでした。
正応二年(1289年)八月二十三日、遊行四世呑海上人が信州須羽へ御旅をなされたとき、諏訪大社の御霊をお持ち帰りになり、遊行寺の守護神として山内にお祭り申し上げたのがはじまりです。
その後年歴を経るに従い、元禄十二年(1699年)霊験あらかたなることから、広く藤沢の守護神として現在の山を切り開いて社を建てお祭りをするようになりました。
しかしこのときの社殿は現在より下段の地に道路の方向に向いて建てられていました。 その故か社前を馬に乗って通るものは必ず落馬したとのことで、社を上段に移し南面に向きを変えて立て直しました。
こうして今に続いています。以上のようなことから、遊行寺と諏訪神社は親子の関係にあり・・と今なお神仏習合の名残をとどめる以下のような諸行事が続いております・・・
諏訪神社HPより引用

舩玉神社。
旧鎌倉道沿いに舟玉(船玉)神社(祭神・弟橘姫命)があります。かつてこの地は鎌倉三代将軍源実朝が宋に渡る船の用材を切り出したところと伝えられ、それゆえに乗船成就海上守護の願いにより勧請されたといわれます。
藤沢市ふじさわ宿交流館HPより引用

ペットコミュニティショップ「CANDIOR」。
フードやオヤツ、用品などを販売しています。

駅まであと少しです。

到着しました。

最後に歩数を確認します。
目標は「9,406歩」なので、2,000歩ほどオーバーしました。
白旗神社や、遊行寺の広い境内をくまなく回るか、短縮するかで歩数が増減されるかと思います。
まとめ
歴史を感じるコースです。
犬と入れるお店は見当たりませんでしたが、駅前はもちろん、コースの途中にもパン屋や、コンビニ、ファーストフードなど点在していますので、購入して白旗神社や遊行寺でのんびり食べるのも良いかと思います。
少し距離は遠いですが、古に思いを馳せながら、休みながらお散歩を楽しんでください。

