見た目も成績も関係ない──セラピードッグが教えてくれる“ありのまま”の価値

2024年春、東京都にある東洋英和女学院小学部に、キャラメルブラウンの女の子が“入学”しました。名前はアン──生後まもないセラピードッグです。朝日新聞の記事(2025年6月15日)によると、彼女は子どもたちに寄り添い、慰め、時に励ましを与える存在として学校生活に溶け込んでいるといいます。

児童の中には、「アンに会いたくて早起きするようになった」「けんかした後に慰めてもらった」と話す子もおり、セラピードッグが登校意欲や感情面にプラスの影響を与えている様子がうかがえます。

こうした現象は日本国内だけでなく、世界中で確認されている「セラピードッグの教育効果」に通じるものです。

では、なぜ犬がここまで人の心を動かすのでしょうか?この記事では、セラピードッグの効果を科学的根拠に基づいて掘り下げ、教育現場での活用事例やその可能性について深く見ていきます。


目次

セラピードッグとは?

セラピードッグ(Therapy Dog)とは、人間の心身の健康をサポートする目的で訓練された犬のことです。病院や老人ホーム、学校などに派遣され、心の癒やしやストレス軽減をもたらす存在として注目されています。特に教育の現場では、子どもたちの情緒的な安定や社会性の向上に効果があるとされ、多くの研究が行われてきました。

日本でも徐々にその存在が知られるようになり、一部の小学校・中学校では「スクールドッグ」としてセラピードッグが導入され始めています。


科学が示すセラピードッグの効果

1. ストレスと不安の軽減

最も明確な効果の一つが、ストレスの軽減です。英国の研究では、週2回セラピードッグと過ごした小学生たちのコルチゾール(ストレスホルモン)値が有意に低下したことが確認されています。特に発達障害など特別支援を要する児童においても、明確な改善が見られました。

ドイツの研究者アンドレア・ビーツは、ストレス課題を受ける際に犬がそばにいた子どもたちのほうがコルチゾール反応が低く、心理的な緊張も少なかったと報告しています。犬に触れることで安心し、精神的な落ち着きを得られることが科学的にも裏付けられています。

2. オキシトシンの分泌と心の安定

犬と触れ合うことで、人の体内ではオキシトシンと呼ばれる「愛情ホルモン」が分泌されます。このホルモンは信頼感や共感、ストレス軽減に寄与し、心理的な安定をもたらします。犬と飼い主が見つめ合うだけでもオキシトシンが増加するという研究(Nagasawa et al.)もあり、これは人と犬の間に相互作用的な癒やし効果があることを示しています。

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3. 社会性とコミュニケーション能力の向上

学校で犬が存在することで、子どもたちの対人交流が活発になります。特に内向的な子どもや自閉傾向のある児童においては、犬を介して他者と関わるきっかけが生まれやすくなります。

研究では、自閉スペクトラム症(ASD)の児童が犬との活動を通じてクラスメートとの距離を縮めることができたと報告されています。セラピードッグは言葉を超えて関係を築く「潤滑油」として機能するのです。

4. 自己肯定感と情緒の安定

犬は子どもをありのままに受け入れてくれる存在です。そのため、「自分は存在していい」「誰かに必要とされている」と実感しやすくなります。これは、子どもの自己肯定感や情緒の安定につながり、学習や社会生活にも良い影響をもたらします。

スイスの学校では、犬を導入した結果、児童が「ニキビだらけの顔だろうが太っていようが、犬にとっては全く関係ないんだ」と話していたという記録があります。犬は子どもの外見や学力、性格に基づいて評価することがありません。そのため、日常的に犬と接することで、子どもたちは「ありのままの自分でも大丈夫なんだ」と思えるようになり、自己肯定感が高まるとされています。

さらに、犬は相手を否定することなく、常にポジティブな態度で接してくれる存在です。こうした無条件の受容が、特に人間関係で傷つきやすい時期の子どもにとって、精神的な安全基地となります。

セラピードッグと触れ合うことで、感情をコントロールする力や、自分と他者の違いを受け入れる寛容さも養われると指摘する研究者もいます。


4. 教育現場での実例と変化

1. アメリカ:読書支援犬「R.E.A.D.」

アメリカでは1999年から「Reading Education Assistance Dogs(R.E.A.D.)」というプログラムが開始され、図書館や学校でセラピードッグに本を読むという活動が広がっています。犬は決して子どもを評価しないため、音読に対する不安が軽減され、自信をもって読むことができるようになります。

2. イギリス:登校支援の一環として

イギリスでは、学校に犬を配置する取り組みが進んでおり、不登校傾向のある子どもたちの登校意欲を高める効果が報告されています。犬に会いたいという気持ちが学校への一歩を後押しし、結果として学習への参加も促進されるのです。

3. 日本:民間団体による導入の広がり

日本でもスクールドッグ協会などの団体が、教育現場に犬を派遣する活動を行っています。東洋英和女学院のように、学校側が責任を持って犬を育てる例も登場しており、今後の広がりが期待されます。


導入にあたっての課題と展望

もちろん、セラピードッグの導入にはいくつかの課題があります。

まず第一に、犬側のストレスに対する配慮が欠かせません。子どもたちにとって癒しの存在であるセラピードッグも、長時間の活動や過剰なスキンシップは心身に負担となることがあります。そのため、活動時間や休憩の頻度、犬の体調変化への注意など、動物福祉に配慮した運用が求められます。

また、子どもたち自身が犬と接する際の正しい知識を持つことも重要です。たとえば、犬が見せる「ストレスサイン(カーミングシグナル)」──目をそらす、あくびをする、体を小さく丸めるなど──を理解することで、犬に無理な接触をしないよう配慮する力が育まれます。つまり、セラピードッグとのふれあいは、子どもが動物行動学を実践的に学ぶ機会にもなり得るのです。

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そのためには、ふれあいの場面において教員や指導者が犬のサインを適切に読み取り、子どもにもそれを教える体制を整える必要があります。

  • アレルギーや恐怖症への配慮
  • 動物福祉への配慮(長時間拘束しない、適切な休息)
  • 飼育・衛生管理の責任
  • 教育関係者の理解と研修

これらをクリアするためには、専門機関や獣医師、ドッグトレーナーとの連携が欠かせません。また、自治体や教育委員会レベルでのガイドライン整備も求められます。

セラピードッグがもたらす「見えない学び」

✅ 「空気を読む」文化とカーミングシグナルの親和性

日本の社会では、「察する」「空気を読む」文化が根付いています。犬のボディランゲージ(カーミングシグナル)を学ぶことは、他者の気持ちを尊重する力を育むことにつながり、日本人がもともと持っている“間合い”の感覚と相性が良いとも言えるでしょう。

犬とのふれあいを通じて、子どもたちは多くの「非認知的スキル」を育むことができます。たとえば:

  • 思いやり
  • 協力性
  • 忍耐力
  • 感情コントロール
  • 責任感

これらはテストの点数には表れにくいものの、生涯にわたって必要とされる能力です。犬という存在が、こうしたスキルを自然と引き出してくれるのです。


おわりに──小さな尻尾が動かす大きな未来

セラピードッグ「アン」が子どもたちにもたらしたものは、笑顔や安心感、そして前を向く力です。こうした変化は科学的にも裏付けられており、今後の教育現場において重要な存在になり得ることがわかります。

私たちが忘れがちな「誰かとつながることの大切さ」「ありのままを受け入れることの強さ」。セラピードッグは、そのことを静かに教えてくれます。

これからの学校が、もっとやさしく、もっと楽しくなるために──セラピードッグという小さな存在が、きっと大きな力を与えてくれるはずです。

我が家も犬が最初で、後から子供が5人生まれました。赤ちゃんの頃から何やら愛犬と話をしているねと夫婦で感じていました。彼らは、成長するに連れて自然と犬との接し方を学んでくれているようです。

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セラピードッグ導入や、犬の気持ちをわかるための講座など、教育機関や自治体からの要請にも対応しております。お気軽にお問い合わせください。

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参考文献

  • 朝日新聞デジタル(20256月15日)小学校にセラピードッグ入学 心疲れた子へ 「教育目標より笑顔を」
  • Nagasawa, M. et al. (2015). “Oxytocin-gaze positive loop and the coevolution of human-dog bonds.” Science, 348(6232), 333–336.
  • Beetz, A. et al. (2012). “Psychosocial and psychophysiological effects of human-animal interactions: The possible role of oxytocin.” Frontiers in Psychology, 3, 234.
  • Anderson, K. L. & Olson, M. R. (2006). “The value of a dog in a classroom of children with severe emotional disorders.” Anthrozoös, 19(1), 35–49.
  • Jalongo, M. R. (2005). “What are all these dogs doing at school?” Childhood Education, 81(3), 152–158.
  • Gee, N. R. et al. (2010). “The presence of a therapy dog results in improved reading performance in children.” Anthrozoös, 23(3), 253–267.
  • 日本スクールドッグ協会(公式サイト
  • pepelu.pet 及びnote.comにおけるセラピードッグに関する一般向け解説記事(2023–2024年)
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